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新品 :3088549206
中古 :3088549206-1 |
メーカー | dc70a502535e | 発売日 | 2025-05-14 08:04 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「香煙引到楚香処」白氏文集の有名な漢詩
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自筆「源氏物語」の「総角(あげまき)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「総角の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮のきらびやかな恋物足りが描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。◆錵◆2 李朝時代 青磁製 三島手象嵌花瓶 30cm 朝鮮古陶 唐物骨董 [S193.1]RP2/23.9廻/OD/(140)。◎【真作保証】 千漢鳳 自作 茶碗 聞慶窯 人間文化財 大韓民国陶芸名匠 ペ・ヨンジュンの師 (柳海剛 池順鐸 安東五) 茶道具 韓国。【骨董・茶道具】★李朝★★三島暦手塩笥壷 dn065tdl.sl8. 象嵌。【真作保証】 李殷九 (李殷和) 自作 柿釉天目大海茶入 山椒緞子 青披窯 人間文化財 コレクター放出品 (柳海剛 池順鐸 安東五) 茶道具 韓国。【陽】高麗茶碗 朝鮮美術 李朝時代 茶道具 検)伝世品 古格 茶碗 古唐津 古色 抹茶碗 萩焼き 侘び寂び 経年変化の美 骨董品 古道具 古美術品。時代 朝鮮茶碗【卒峰】★表千家十三代即中斎花押★o678。旧家 蔵より 御茶道具 李朝期 御本茶碗 時代箱 高麗茶碗、利休 古美術。【真作保証】 金允泰 自作 韓国陶芸代表作家 尚州窯 (柳海剛 金正玉 申正熙) 美術館展示作品 茶道具 韓国 ③。SIAM GALLERIA : 李朝後期白磁台皿。c 李朝瑠璃釉魚形水滴① 李朝時代 朝鮮半島 磁器 / 染付 書道具 筆記用具 白磁 染付 青花 呉須 色絵 青磁 両班 貴族。李朝 染付壷 提灯壷。【骨董・茶道具】★李朝 高麗★★青磁鎬文徳利 花瓶 eq036szl. 酒器 朝鮮半島 花道 華道。朝鮮 粉引き茶碗 箱・仕覆付き。【骨董・茶道具】★李朝 高麗時代★★青磁象嵌花文小壷 粉青沙器 ei014sjl.。韓国李王家 李方子(楽善斎) 高麗焼 茶碗 李方子様 謹製 保証 未使用品、美品。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は総角(あげまき)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。総角の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮の恋物語を描いております。◆錵◆2 李朝時代 白磁製 提灯壷 19.5cm 満月壷 朝鮮古陶 唐物骨董 [S179.2]UR3/23.9廻/OD/(100)。レア珍品 李朝 青磁柳文白象嵌小型花瓶12cm朝鮮古美術 茶道 花道 添配。★※★※李朝 白磁 平茶碗★※★※。時代 朝鮮茶碗「雪の朝」 表千家 十三代 即中斎の花押がございます★x619。◆羽彰・古美術◆A10781珍品旧蔵 朝鮮 高麗磁 朝鮮古陶磁器 古高麗 李朝時代 李朝白磁染付老虎長頸瓶。【金閣】李朝 高麗 朝鮮青磁徳利 旧家蔵出(AZ842)。。匂宮は、中の君を京の二条院に引き取る決意をする。
原本自筆上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節である。この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている。前漢の武帝王が美しい李夫人の死をいたみ「反魂香」を九華帳(漢王の寝室にかける,幾重もの花模様のついた,美しいとばり)の中で香を焚くと、美しい夫人の魂が煙に導かれ魂を呼び返してその姿を煙の中に夫人の姿が現われる。紫式部が「若紫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解したうえで、「総角」の中の「大君が父君の八の宮を呼ぶべき煙がほしい」という意味から総角の原文の中で、「人の煙にありけむ香の煙そ、いと得まほしくおほさるる」と書いていることから紫式部が「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の「反魂香(はんごんこう)」の漢詩に共鳴していることがよくわかる。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
「総角」の巻は英文で「Trefoil Knots」と表記されます。
《自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の一節です。この漢詩は、「反魂香(はんごんこう)」としても広く知られている「白氏文集」の中の有名一節です。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節です。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節で「白氏文集」に由来するものです。》
《おはしますに、はした》・・・なくおほ(思)さるゝにこそ」
「今、おのつから、見たてまつり馴れ給ひなは、思ひ聞え給ひてん」
なと、語らひて、「とく、うち解けて、思ふやうにておはしまさなん」
と、いふいふ、寢入(いり)て、いひきなと、かたはらいたく、するもあり。
「逢ふ人から」にもあらぬ、秋の夜なれと、程もなく明(あけ)ぬる心地して、
いつれと分くへくもあらす、なまめかしき御けはひを、人やりならす、
あかぬ心ちして、「あひおほせよ。いと、心憂くつらき、人の御さま、
見ならひ給ふなよ」なと、後瀬を契(ちきり)て、出(いて)給ふ。
我なから、あやしく、夢のやうにおほゆれと、
「なを、つれなき人の御けしき、いまひと・・・《たひ、みはてむ》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮の御子・大君と中の君と薫の君、匂宮の恋物語》
《姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)、薫の君を妹の中の君に嫁がせたいと願う》
《(弁の君)「中納言(薫の君)と姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)のご縁談のことは別としても、
いつものことながら拝見するだけで老いの皺(しわ)ものびるような気持になるくらい、すばらしく、
しみじみと見とれていたくなる中納言(薫の君)殿のお顔だちやお姿でいらっしゃるのに、
姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)はどうしてああもよそよそしくお扱い申されるのでしょう。
なんの、これはきっと世間でよく言う、恐ろしい神様がお憑(つ)き申しているのでしょう」
と、歯のぬけた口をしていかにも無愛想に言ってのける老女の女房もいる。また、
(弁の君)「まあ、縁起でもない。どんな魔物がお憑きするものですか。
ただお交際(つきあい)も疎くてお育ちのようですから、こうしたことにも似合わしく
姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)のことをお世話申されるお方がなくて
いらっしゃって、それできまりわるく》・・・・・お思いなのでしょう。
そのうちしぜんに、おなじみになられたら、お慕いする気持になられましょう」
などと話し合って、
(弁の君)「どうか中納言(薫の君)と姫宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)が、早く打ち解けて、
申し分のない御身の上になっていただきたいもの」
と言い言い寝入ってしまって、聞き苦しくいびきなどをかいている者もいる。
中納言(薫の君)は、「逢ふ人から」といった趣とはこれまたちがった秋の夜長であるけれども、
じきに夜が明けてしまったような心地がしている。
中の宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・中の君)は、姉君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)と
いずれまさり劣りの分別もつけかねるほどみずみずしくお美しいこのお方のご様子を、
このままお別れしてしまうのは、誰のせいでもなく自ら招く結果とはいえ、物足りなくお思いであった。
(薫の君)「あなた(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・中の君)のほうでも
この私(薫の君)をお忘れなくお思いいただきたいのですよ。ほんとに情けなく
つれない姉上(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君のなさりかたをお見習いなさいますな」
などと、中の宮(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・中の君)と後の逢瀬(おうせ)を
お約束なさってお立ちになる。
中納言(薫の君)は、我ながら合点のゆかぬ夢心地であるけれど、やはりあの薄情な
お方(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君)のご意向を、もう一度・・・・《見極めたいとのおつもりで
気を落ち着けては、いつものように、お部屋を出て横になられる。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Trefoil Knots (総角)》
No, I can tell you what it is. She had a strange bringing up, that's all, way off here in the
hills with no one to tell her about things. Men scare her.
You'll see―she'll be friendly enough when she gets used to him.
It's bound to happen."
"Let's hope it happens soon, and something good happens to us for a change."
So they talked on as they got ready for bed, and soon there were loud snores.
Though "the company" may not have had a great deal to do with the matter,
it seemed to Kaoru that the autumn night had been quick to end.
He was beginning to wonder which of the princesses appealed to him more.
If, at his departure, his desires were left unsatisfied,
he had no one to blame but himself.
"Remember me," he said as he left Nakanokimi,
"and do not deceive yourself that she is someone to imitate."
And he vowed that they would meet again.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《総角》
今后,自然会成功的。”又有人:
“但愿大小姐快点心意地接待他,早日个享福。”
,不知不地都睡着了。
其中也有几个人出很听的鼾声。
秋宵并非了情人相逢而苦短,但不久也就向了。
薰君看了各有所的双美中一人的姿色,
自然而然地感到不能足。最后道:“我相。
不可模那可恨的姐姐的薄情!”
和了后会之期,然后辞去。
他佛做了一梦,自己也得奇怪。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真2枚が「源氏物語」総角の巻の末尾(原本番号88-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「総角の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(総角の巻)MRI 47―25B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「総角の巻」主人公・総角の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君姉妹。
左側が琵琶と筝を奏でる大君・中の君姉妹、右が姉妹を覗き込む薫の君
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「総角」原本に記されております。紫式部が「総角」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「総角の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「総角の巻」に用いられていることで広くしられている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。◆錵◆2 李朝時代 鶏龍山 鉄絵提灯壷 13cm 花瓶 朝鮮古陶 唐物骨董 [G120N]QU/21.4KB/(80)。B15544 李朝染付仏手柑壷 約797g:真作。【骨董・茶道具】★李朝?萩焼?★★耳付茶入 小壷 dn038til.8.。時代 李朝堅手茶碗 「寒翁」 表千家十三代 即中斎花押 ※ニュウ有り v575。李朝 鉄砂絵小壺 (茶入れ) 李朝初期 茶道具 花入 鑑賞陶器 時代仕覆箱 絵唐津茶入 石崎本家蔵印。【銀閣】李朝 白磁 碗 φ15.5cm 旧家蔵出(AZ927)。■古玩 李朝 水滴 魚型 /朝鮮美術/■。【金富士】値下げ中 李朝鶴首花瓶 高さ21cm 箱付 検/高麗汝窯汝磁楽山紫砂九谷備前萩焼常滑宝生伊万里骨董中国古玩入江光人司宝。李朝 高麗 徳利 粉引 白磁 鶏龍山 時代物。李朝 古染付 華の図 白磁 朝鮮陶器 茶道具 菓子皿 アンティーク李朝 蔵出し 1客。高麗青磁水滴 珍品です。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。◆錵◆ 李朝時代 白磁製 染付壷 10.5cm 小壷 朝鮮古陶 唐物骨董 [V225.3]SW4/23.6廻/FM/(60)。■ 朝鮮古陶磁 ■ 李朝 白磁 耳盃 <230425001>。。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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