兵庫県産 5年産コシヒカリ玄米。
:二夜百首 5丁裏
:十題百首 11丁表
:歌合百首 16丁表
:治承題百首 24丁裏~29丁裏
式部史生秋篠月清集 二
:南海漁父百首 1丁表
:西洞隠士百首 5丁裏
:院初度百首 10丁表
:院第三度百首 14丁裏
:老若歌合五十首 19丁表
:句題五十首 21丁表~25丁裏
式部史生秋篠月清集 三
:春部 1丁表
:夏部 5丁裏
:秋部 9丁表
:冬部 20丁裏~26丁裏
式部史生秋篠月清集 四
:祝部 1丁表
:恋部 8丁表
:羈旅部 12丁表
:雑部 13丁裏
:哀傷部 18丁裏
:無常部 19丁表
:神祇部 20丁裏
:釋教部 22丁表~23丁裏
【因みに】
一~四を眺めてみると、
一~二は「花月百首」から始まって、折に触れ題詠したものが集められているようである。
つまり、前半の一・二は「私家集」の体、「秋篠月清集」の本体(?)に当たるのが三・四、つまり上・下巻と考えられる。
この『六家集』は下記に示すとおり全二十冊。
六家集(早稲田大学図書館蔵本)
出版事項 [出版地不明] : [出版者不明], [出版年不明]
形態 20冊 ; 27.7×19.7cm
内容等 書名は題簽による
・式部史生秋篠月清集(1-4)
・長秋詠藻(上,中,下)
・山家和歌集(上,下)
・拾玉集(1-7). 拾遺愚草(上,下)
・拾遺愚草員外(上,下)
・壬二集(上,下)
【刊期等】不明
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【参考】九条 良経
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。官位は従一位・摂政、太政大臣。後京極殿と号した。
《経 歴》
治承三年(1179年)元服し、従五位上に叙せられる。文治四年(1188年)、同母兄・良通が早世したため兼実の嫡男となった。しかし翌年十一月、反兼実派の丹後局と源通親らの反撃を受けて父と共に朝廷から追放され、蟄居を余儀なくされた(建久七年の政変)。そして建仁二年(1202年)十二月、土御門天皇の摂政となり、建仁四年(1204年)には従一位・太政大臣となった。享年三十八。特に書道においては天才的で、その屈曲に激しく線に強みを加えた書風は、のちに「後京極流」と呼ばれた。
その活動は御子左家との強い結びつきのもとで行われたが、六条家歌人との交流もあった。
その後後鳥羽院歌壇へ移行し、良経を含む御子左家一派は中核的な位置を占める。自撰の家集『秋篠月清集』(月清集)は六家集のひとつとなっている。日記に『殿記』、著作に『大間成文抄』がある。
91番「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ」
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《六家集》新古今時代の優れた六つの私家集のこと。
※経年による紙の劣化、変色、斑点状の染み、多数あり。ご理解下さい。あらかじめご承知おき下さい。N3FL3-210825 レア[マリア讃歌 景山筍吉 第4句集]俳句。